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hugkumi+をつくるひと

どんな高級菓子も敵わない、昔ながらのビスケットサンド

 両親が共働きだったわが家。わたしは幼少期から祖母に面倒を見てもらっていた、筋金入りのおばあちゃん子でした。祖母とは70歳以上も年齢が離れていたこともあり、なかなか食の好みが合わず、おやつタイムに食べるものは、決まって別のもの。  でも、わたしはせっかく一緒に食べるなら同じものを食べたかったんです。考えて考えて辿り着いたのが、クリームをビスケットで挟んだビスケットサンド。「クリームって甘すぎるから好きじゃないけれど、ビスケットで挟むとちょうど良くなるねぇ。」そんな風に笑って話してくれた祖母の笑顔が大好きでした。  大学生になり実家を離れたわたしが帰省するとなると、必ずそのビスケットサンドを用意して待っていてくれた祖母。心がじんわり温かくなったことをいまでも覚えています。  そんな祖母が他界して今年で3年。いま、わたしには3歳の娘がいます。離乳食期も終わり、色々なものが食べれるようになった娘とのおやつタイム。  一緒にお菓子を選ぶときは、決まって祖母との想い出が詰まったビスケットサンドを選びます。祖母とも娘とも、大切な人と時代を超えて同じものを食べられることに、ふと幸せを感じるのです。

誰かの生きた軌跡に想いをはせる、ヴィンテージ品の魅力

 思えば、わたしのお気に入りは誰かが使っていたものばかりです。母が学生のころに祖父から買ってもらったという革のトートバッグ。祖母がもう使わないからとくれた、ゴールドのピアス。80年前に生産されていた、ヴィンテージのフィルムカメラ。  どれもしっくりとわたしの生活に馴染んで、すっかりスタメンと化しています。さぞきれいに保管されたものなのだろうという印象を受けた方も多いかもしれませんが、実際はそんなこともなく、母から譲り受けたバッグにはなぜだか生卵の大きなシミがついているし、ピアスはポスト部分が絶妙に曲がっています。  でもヴィンテージ品に魅力を感じるのは、まさにそこ。前の持ち主の生活の痕跡がどこかしらに残っていて、それを受け継ぎ、ふとした瞬間にその人の生活を想像できるところです。  ところで、母のバッグについたシミはどうして生卵だったのか。正解は、栄養学科の学生だった母が授業で使う生卵をバッグにそのまま入れて自転車に乗ったところ、卵が中で割れてしまったから。 慌ててケアしたけれどしっかり残ってしまったんだとか。こんな愉快なエピソードと垣間見える当時の暮らしぶりを感じることができるのも、ヴィンテージ品ならではの醍醐味だなあと、バッグに残る大きなシミを見るたびに感じるのです。