essey

hugkumi+をつくるひと

当時の感動を何度も思い出す、グラデーションのカラーコード。

 学生の頃、配色を学ぶために作っていた「色カード」。色カードとは、絵の具を混ぜてできた色を単語カードなどに塗って作る、オリジナルの色見本カードのこと。美大を受験する学生が受験対策としてよく作っているものです。  わたしはこの色カードを作るのが好きでした。わたしの作り方は、きれいだと思った広告や、写真、雑誌を参考にし配色を再現するというもの。特に色のグラデーションをカードに落とし込むのが楽しくて、完成したカードが何束も残っています。  ひとくちにグラデーションといっても、W(ホワイト)を増やすだけでは「明るさ」の変化にしかならず、理想のカードはできませんでした。試行錯誤しながら理想の色カードができあがったときの感動や鳥肌がたった感覚は、いまでも鮮明に覚えています。もはや受験対策ではなく、いかに美しい配色を見つけるかという個人的な研究のようになっていました。  いまでは、当時目指していたデザイナーとして働くことが叶っています。すっかりデジタルで仕事をすることが多くなって、色カードに触れることは、もうあまりありません。ただ、形は変わってもあのときのような感動の発見にまた出会うために、毎日デザインしている気がします。

独特の距離と臨場感をもつ、ラジオの先の世界

 わたしは学生時代、「ハガキ職人」をしていました。ハガキ職人とは、特定のラジオ番組にハガキを数多く投稿する常連投稿者のこと。当時、生活の一部としてラジオを聞いていたわたしは、いろんな番組を聴いては投稿しパーソナリティーやリスナーと交流していました。  苦しかった受験期、どうしようもなく悲しいことがあった日、なんだかわけもなく寝れない夜。そんなときにラジオの向こう側にいる人たちに笑わせてもらったり、励まされたり。わたしにとってラジオは、いつも程よい距離でそっと寄り添ってくれる、そんな存在でした。  パーソナリティーの声の温かさ、思わぬ本音が飛び出すドキドキ感、リアルタイムでリスナーと番組を作り上げる臨場感、それぞれが想像によって自由に楽しめる世界。  ラジオって小さな村のようだなと思うんです。パーソナリティーが村長で、リスナーが住民。村長と住民や、住民同士の近さが、なつかしい距離感で。だから一人でいるけど一人じゃないような、そんな感覚になります。なかには「令和の時代にラジオなんて流行らないのでは」と思う方もいるかもしれません。でも、この独特の距離感や臨場感は時代とともに風化しない、ラジオならではの魅力だと思うのです。

母との時間を思い出させてくれる 真夜中のホットミルク

 わたしは、ホットミルクが好きです。オフィスで飲んでいると周りのスタッフに、なんでコーヒーやカフェラテも選べるなか、いつもホットミルクなのかとよく聞かれます。きっとそれは、ホットミルクはわたしにとって母を連想させるものだから。  当時から小さな物音でも起きてしまうくらい眠りが浅かったわたし。夜中に目を覚ますと、いつも母が仕事をしている一階のリビングに降りるのが習慣でした。そんなとき、母がいつも作ってくれたのがホットミルクだったんです。 アツアツになって膜が張ったホットミルクを息で冷ましながら一日の出来事を話す、姉も父もいない、わたしと母だけの時間。お母さんっ子だったわたしは、母とふたりきりで居られるその時間が大好きで心から安心できる瞬間でした。  実家を出て一人暮らしをはじめてから、すっかり飲む機会の少なくなったホットミルク。夜に目が覚めてしまっても、いまは自分でつくるしかありません。眠れずに布団で丸まっているたびに、心がふっとほころぶような母の作るホットミルクの味を思い出して懐かしい気持ちになります。  次に帰省したときには、久しぶりに母にホットミルクを作ってもらいたいなと、これを書きながら思うのでした。

どんな高級菓子も敵わない、昔ながらのビスケットサンド

 両親が共働きだったわが家。わたしは幼少期から祖母に面倒を見てもらっていた、筋金入りのおばあちゃん子でした。祖母とは70歳以上も年齢が離れていたこともあり、なかなか食の好みが合わず、おやつタイムに食べるものは、決まって別のもの。  でも、わたしはせっかく一緒に食べるなら同じものを食べたかったんです。考えて考えて辿り着いたのが、クリームをビスケットで挟んだビスケットサンド。「クリームって甘すぎるから好きじゃないけれど、ビスケットで挟むとちょうど良くなるねぇ。」そんな風に笑って話してくれた祖母の笑顔が大好きでした。  大学生になり実家を離れたわたしが帰省するとなると、必ずそのビスケットサンドを用意して待っていてくれた祖母。心がじんわり温かくなったことをいまでも覚えています。  そんな祖母が他界して今年で3年。いま、わたしには3歳の娘がいます。離乳食期も終わり、色々なものが食べれるようになった娘とのおやつタイム。  一緒にお菓子を選ぶときは、決まって祖母との想い出が詰まったビスケットサンドを選びます。祖母とも娘とも、大切な人と時代を超えて同じものを食べられることに、ふと幸せを感じるのです。

誰かの生きた軌跡に想いをはせる、ヴィンテージ品の魅力

 思えば、わたしのお気に入りは誰かが使っていたものばかりです。母が学生のころに祖父から買ってもらったという革のトートバッグ。祖母がもう使わないからとくれた、ゴールドのピアス。80年前に生産されていた、ヴィンテージのフィルムカメラ。  どれもしっくりとわたしの生活に馴染んで、すっかりスタメンと化しています。さぞきれいに保管されたものなのだろうという印象を受けた方も多いかもしれませんが、実際はそんなこともなく、母から譲り受けたバッグにはなぜだか生卵の大きなシミがついているし、ピアスはポスト部分が絶妙に曲がっています。  でもヴィンテージ品に魅力を感じるのは、まさにそこ。前の持ち主の生活の痕跡がどこかしらに残っていて、それを受け継ぎ、ふとした瞬間にその人の生活を想像できるところです。  ところで、母のバッグについたシミはどうして生卵だったのか。正解は、栄養学科の学生だった母が授業で使う生卵をバッグにそのまま入れて自転車に乗ったところ、卵が中で割れてしまったから。 慌ててケアしたけれどしっかり残ってしまったんだとか。こんな愉快なエピソードと垣間見える当時の暮らしぶりを感じることができるのも、ヴィンテージ品ならではの醍醐味だなあと、バッグに残る大きなシミを見るたびに感じるのです。